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沿革



地域の概要(歴史的文化的環境)

 
 
本校の学区は、浜松市北部の三方原台地に位置し、JR浜松駅より約10㎞、自動車で30分余りの所にある。

  明治のはじめ徳川武士の離職対策として三方原の開拓が行われ、初生・三方原南北・百里園付近へ約800人の武士が入植した。堀を作り、土塀を築き、家を建て、刀に変わって鍬を握り、おもに茶園(百里園)を切り開いていったが、きびしい自然に勝てず、離村があいつぎ、明治中期にはわずか54戸となってしまった。

  戦争中は、飛行場・爆撃場となり、開拓事業の進展は見られなかった。

  戦後になって東三方、豊岡、三幸、大原、高丘、葵、そして吉野一部に新しく大規模な開拓が行われた。満州からの引揚者、戦災を受けた人々、台地周辺の農家の人々が入植し、鍬をふるった。幾多の試練を経て、開拓15年目ぐらいから徐々に生活は安定し始めた。

  昭和29年、三方原、吉野両村は浜松市に合併した。32年には三方原・吉野の両中学校が統合し、さらに北部中学校の学区(葵町・高丘)の一部変更があり北星中学校翌33年設立された。

  昭和36年、世紀の大事業三方原用水の着工により、さらに農業技術の進歩もあって、農業は急速に発展し、昔の面影はなくなってきた。

  昭和29年に本田技研の浜松製作所が葵町に誘致されて以来、広い台地にその下請け工場が建ち始め、特に、昭和39年以降は急速に発展を続け、現在高台・葵町にはオートバイ・自動車関係の工場が林立している。さらに、三方原・吉野地区にも機械織物・金属工業が進出してきた。西インターの完成でさらに飛躍的な発展をしている。

  この工場化と相まって商業の面でも発展が著しく、都市化とともに住宅化も進み、旧本学区は人口が増加した。これにともない、生徒数も増加し、昭和55年4月、開成中学校が分離独立した。

  一方広い台地をめざして文教施設の建設もあいつぎ、浜松工業高校・浜松盲学校・県立技能開発専門学校、隣接地に日体高校・農経高校・聖隷高校・短大・浜松医大と、三方原は文教地区としても改めて見直されている。

  急速な都市化による結果として、昭和55年4月の開成中学校の分離独立に続き、昭和59年4月に三方原中学校が分離独立した。









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