福長浅雄さんは明治二十六年(1893年)大塚町の農家に生まれ,十二才で小学校を卒業し,木材会社で働きました。
 
生まれつき非常に研究心が強く,将来は飛行機の時代が来ると考え,家業を他人にまかせて,千葉県におもむき,飛行機について勉強し,自らフランスから古い飛行機を買い入れ,組み立てや修理などをして飛行したのです。当時の苦労は大変なもので,飛ぶより,墜落の危険の方が大きく,まさに命がけでした。大正六年(1918年)のことです。
 
大正八年,天竜川河口に福長飛行機製作所をつくり,四郎,五郎の弟たちと協力して飛行機の製作を始め,大正十一年(1923年)国産として日本最初の六人乗り旅客機を完成させ,「天竜十号」と名付けました。この飛行機にはいろいろ新しい技術が取り入れられ,当時の最高傑作でした。その後も福長浅雄さんは,常に新しい工夫に取り組みながら,研究を続け,昭和五十五年(1980年)八十八才でなくなりました。



福長浅雄さんの写真 大阪豊中グランド上空の天竜十号