荘川桜と北浜中

2000本の桜を植えたバスの車掌さんのお話

バスの車掌さんをしながら、道ぞいに一本一本、さくらの苗木を植えて歩いた人がいました。その人の名は、佐藤良二さん。良二さんが植えつづけたさくらの苗木は、十一年間で二千本にものぼり、いまは美しい桜並木になっています。縁あって、北浜中にも「荘川桜の子ども」である「荘川東七郎」が植えられ、毎年花を咲かせています。

平松幹夫先生ご夫妻が、北浜中を訪問されました。(2000年3月28日)

平成2年、当時北浜中学校の1年生たちが、国語の教科書に載っていた「太平洋と日本海を桜で結ぼう」の登場人物に一通の手紙を書いた。この手紙がきっかけとなって、思いやりの和を広げる桜の教育、そして心の教育がはぐくまれていった。

「太平洋と・・・」の物語は、岐阜県荘川村が舞台となる。隣接の大野郡白川村に御母衣ダムが建設されることにより、一部地区が湖底に沈むことになった村である。そこで樹齢400年の「荘川桜」が記念としてダムのそばに移植され、桜は風雪に耐え、翌年しっかりと芽吹いた。当時名古屋と金沢を結ぶ「名金線」の国鉄路線バスの乗務員、佐藤良二さんはこれに感動し「太平洋と日本海を桜の道で結ぼう」と昭和41年からバス路線沿い約260キロに苗木を植え続けた。さらに、荘川桜の実生(種子から発芽して成長すること)の苗を育てようと病魔と戦いながら苗の育成に取り組んだ。苦労の甲斐あっていくつかの実生から発芽し、それらを良二さんが「一郎」「二郎」「三郎」・・・と名づけ、大切に育てた。30cmくらいに育った頃、良二さんはついに病で帰らぬ人となってしまったが、その意志は石川県の元小学校校長の平松幹雄さんや、佐藤さんの実姉尾藤てるさんらに継がれたという実話である。47歳で病魔に倒れるまでの12年間に2000本の桜を植えたそうである。

文中最後の「まだ花が咲かない。だが、きっと咲くでしょう。」の部分に興味を持った当時の1年8組の生徒たちが平松さんに手紙を出し、これが交流の始まりとなった。

良二さんが育てた「荘川桜の子どもたち」の消息のうち、所在が確かなものは平松先生が輪蛯ノ持ち帰った「荘川七郎」ただ一本である。平成2年2月には平松さんの口添えで、尾藤さんが育てている荘川桜の苗木が北浜中学校に届けられた。この苗も、荘川桜の実生から育てられた苗で、学校正門そばの一角に植え、「太平洋と日本海を桜でつなごう」と書いた標注を立てた。「荘川東七郎」と命名された桜はすくすくと育ち、生徒たちは人のために尽くしたり、優しい心を持ち続けたりすることの大切さをこの桜から学んだ。

その後交流は広がり、浜北市西美薗のスーパー経営三海昭治さんが橋渡し役を務め、北浜小など小・中・高七校にも苗木が贈られた。

平成5年6月5日には、尾藤てるさんと夫の帝さんが浜北市を訪れ、当時の1年8組の生徒たちと対面をしたり、苗木が植えられた8つの小・中・高校を見て回ったりするなど親睦を深めた。

平成6年2月には当時PTA会長の小畑孝雄さんが桜の由来などを刻んだ記念碑を校庭の桜の前に建て、28日には除幕式を行った。また、同春には、故佐藤良二さんを主人公にした映画「さくら」が公開され、本校でも多くの生徒たちの感動を呼んだ。