大平台小トップページ大平台小誕生記>校長先生のインタビュー記録| 開校当時の新聞記事

Q1 大平台小はどうしてできることになったのですか。
  だれがつくると決めたのですか。
  また、どうして校長先生が設立にかかわることになられたのですか。

学校をつくると決めたのは
浜松市です。

ここに学校が建つというのは
もうずいぶん前から
決まっていたようですが、
はっきりしたのは5年前です。

どうしてできたかというと、
この大平台に10年ぐらい前から
どんどん家が建つようになって、
人も増えました。

当時、ここに住んでいた子達は
だいたい西都台小学校に行っていて、西都台小学校がどんどん増えてしまって
750人ぐらいになってしまいました。
また、通うのが遠い子もいて、中にはバスで通っている子もいました。
この地域に小学校がほしい・・・それはこの地域に住む人々の願いでした。
その願いがかなってつくられました。

6年前(2003年)、私は葵が丘小学校で教頭をやっていました。
そこから2004年4月に浜松市教育委員会に行きました。
すると、そこで「新しい学校を作るから、その準備委員長をやってください。」
と言われました。
私は教師としての経験はいろいろしてきていましたが、
新しい学校をつくるという経験はしていなかったので、びっくりしました。
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Q2 この大平台小ができる前はどんなところだったのですか。
   また、どうしてここに学校が建ったのですか。 学校ができるまで、何年かかったのですか。

ここは昔、山で、
人が住んでいるところではなかったようです。
細い道が1本あるだけで、
たぬきがいるような所だったそうですよ。
すし屋さんが1軒だけあるような所だったと聞いています。
そこに大平台の街がだんだんできてきたわけですが、
学校はこの大平台地区の
ちょうど真ん中にあり、
この街が誕生すると同時ぐらいに、
ここに学校ができることが決まっていて、
土地が確保されていたそうです。

工事着工から完成までは
2年かかりました。


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3 校長先生は、大平台小学校のことを任されたとき、どんな気持ちでしたか。

「頼みます。」と言われて「はい。」と返事をしました。
でも、大変困りました。分厚い資料2冊だけでは分かりませんから。
でも「やるっきゃない」と思ってやりました。
西都台小の校長先生だった岩井先生にも、ずいぶん助けていただきました。
私は学校に必要な物、たとえば校章や校歌などを作りました。

それから、大平台小は浜松市で初めて民間による給食が
入れられることになっていました。
どうやってそういう給食を行っていくのか
一生懸命調べました。
静岡県で当時1校だけ
竜洋というところで
そういう給食をやっていて、
そこまで視察に行きました。

自分だけでは不安なので、
将来PTA会長をやっていただけそうな方と
一緒に調べました。

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Q4 大平台小のいろいろなデザイン
  (教室のつくりや広い廊下、ランチルームなど)は、だれがどうやって決めたのですか。 

頼んだのは浜松市です。
市役所の中にそういう公共建築を担当する課があって、
そこで発注しました。
基本設計はもう決まっていたわけです。資料 浜松市施設見学

人にやさしい学校に、地域のコミュニティセンターとなる学校にという願いが
設計に生かされていました。

でも、いよいよ仕上がってくる時に、
ここはこうしてほしいといろいろ注文しました。

例えば2階は6年と1年が生活するといいなと思って、
1年生の方の水道の高さを低くしてもらいました。
兄弟が少ない今、
上級生と下級生がふれあう学校がいいなと思ったからです。
常にやさしい関係で生活できる学校をつくりたかったのです。

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Q5 ユニバーサルデザインがたくさん使われています。これも校長先生が決めたのですか。
 
ユニバーサルデザインは、
もう市の方で決まっていましたが、
細かいお願いはたくさんしました。

例えば、階段を下りる時に転ばないように
赤い線を入れてもらったり、
校長先生の部屋のマークも、
いかにも「男」の校長先生という
マークではないものにしてもらいました。

また、1〜6年生まで使う食器は、
楽しくなるようなきれいな色の物を・・・
というように細かく注文しました。


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Q6 第2音楽室の背もたれが動く椅子が気に入っていますが、
  どうしてあの椅子が使われているんですか。

第1音楽室は2学級でも授業ができるように、
はない広い教室にしました。
                  
第2音楽室は、
けん盤ハーモニカや
リコーダーの演奏ができるように
机や楽譜を立てる台も付けました。
また、ゆったりして気持ちよく
音楽鑑賞ができるように
いい椅子はないかなあと
探してきてもらって、
あの椅子にしたんですよ。


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Q7 他の学校より、木がいっぱい使われていますが、どうしてですか。

それもこの学校を作るときに決まっていたようです。
とにかく「やさしい学校」を作るように、
木をふんだんに使ったのだと思いますよ。

地元産の「ヒノキ」といういい木がたくさん使われています。
                 
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Q8 大平台小は「わかば」という言葉がいっぱい出てきますが、
  それはどうしてですか。

西都台は「竹」でしたね。
でも大平台には竹はありません。
大平台の木はみな若い木です。
その木もその木に茂る若葉も
やがて成長して立派になりますね。
子どもたちも若葉のように成長してほしい、
そんな願いのもとに「わかば」をシンボルとしました。
大平台小の校章もぐるりとわかばで囲まれていますね。

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Q9 大平台小ができたとき、どんなお気持ちでしたか。
  そのとき校長先生が強く願ったことを教えてください。

何もなかったところに物が一つ一つ入って、
うれしかったですね。                
     資料へ(当時の新聞記事)
子どもたちが喜んでくれるかなあと楽しみでした。
ここで子どもたちが大勢のお友達と共に
元気に育ってくれたらいいなあと思いました。

学校の願いを4つのクローバーに例えて示しました。
この4つは大平台の一丁目、二丁目、三丁目、四丁目を表しています。
そしてその1枚1枚を知(学習)・徳(心)
体(体のこと)・食育(食べること)の4つと考えて
バランスのいい子どもたちになってくれたらいいなあと思いました。


それから、大平台小学校に大勢の先生たちが
やってきてくれて、
新しい小学校がいい小学校になるように
一生懸命仕事をしてくれたことも
うれしかったです。
一人じゃなくて、みんなで力を合わせて
やってきました。

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Q10大平台小ができて4年たちますが、 
   この4年間で校長先生がうれしかったこと
   ベスト3を教えてください。

一つ目は
みんなが大平台小を
知ってくれるようになったことです。
できたばかりのころ
大平台(おおひらだい)という学校を
浜松市の人に知られていなくて
困ったことがありました。
「大平(おいだいら)小」とよく間違えられました。

このごろはみんな「大平台小」を
ちゃんと覚えてくれたようです。
学校ホームページのアクセス数も
すごくたくさんになってきて、みんなが関心をもってくれていることが分かります。

二つ目は初めて民間の人が作ってくれた給食が
とてもおいしくて安全で、よかったなと思うことです。
子どもたちにも、保護者の方にも、とても評判がいいです。
ここで始まった給食が、
今では市内のあちこちで採用されています。
                           資料 生涯学習「ふじのくに」No.74

三つ目は大平台小学校をいろいろな人が活用するようになって、
願いどおりの
「地域のコミュニティセンター」としての役割を
果たすことができるようになったことです。
学校を使うことで、
地域の人々がつながってきました。

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Q11 大平台の子どもたちのよいところと、直したいところを教えてください。

大平台小学校の子どもたちは、
どの子もとても素直で真面目で、
いい子どもたちだなあと思います。

あとはがまんしたり、
よいと思ったことを実行する力が
付いてくると、
もっとすてきな子どもたちになると
思います。

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Q12 最後に大平台小の子どもたちにメッセージをください。


どの子も夢や願いをもってほしいです。

1年生は1年生なりの
6年生は6年生なりの
それぞれの夢の実現に向かって、
一歩一歩努力していってほしいなと思います。



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インタビューを終えて
ぼくは5年前の2年生だった時、西都台小学校に通いながら、3年生からはここの小学校に来るんだなと思って、工事中の大平台小学校の前を何回も通ったり、時には、父と車をとめて学校の様子を見たりすることもありました。だんだんできていくのが楽しみだったのを覚えています。4年経って、あのときの気持ちを忘れかけていたけど、校長先生にインタビューをして思い出しました。他の小学校と違うところがいっぱいあるので、どうしてかなと思っていたことを、知ることができてよかったと思います。ぼくたちはもう卒業するけれども、在校生のみんなにどんどん大平台小をよくしていってほしいと思います。(ナル)

私は,校長先生に感謝の気持ちをもちました。新しい学校を任されるっていうことはすごく苦労だったと思いました。でも,その中で,子どもたちにいい学校をちゃんとイメージして,子どもにいいようにいろいろ考えてくれたことを強く感じました。そういうことがあって,私たちは大平台小で楽しい学校生活が送られたんだと思いました。(ヒカリン)

インタビューが終わってから,工事中の様子のことを校長先生から聞きました。学校の工事を任された人々は,「自分の子どもがこの学校に通うと思って建てよう」と言い合いながら工事をしてくれたそうです。大平台小の子どもたちを自分たちの子どもだと思って建ててくれたわけだから,とてもいい学校なのだと思いました。(ひでちゃん)

2009年3月12日掲載 文責 (稲垣)