地名のいわれ

 

■西鴨江町

 平安時代に創設された西鴨江寺(後の花学院・現 西見寺)の名が,そのまま土地の名になったと言われています。
 もっと歴史をさかのぼれば,三方原台地の南端にあたるこの地は,丘や谷,川が入り組む複雑な地形で,昔は入り江であったと想像されます。その入り「江」に飛んで来る「鴨」,そんな自然の光景が,この地名となったとも記されています。
 

■志都呂町

 室町時代の古文書にもあるこの地名は,その昔,この土地に住み,沼地の開拓にあたった人たちが,やがてはこの地を「都」にすべく,「志」を持とうと願って,命名したと言われています。
 

■地名に残る言い伝え

 一日中,車の激しく往来する雄踏街道を,一歩横にそれると,昔の懐かしさをそのままに伝える旧道が,いくすじも伸びています。そこには古くからの言い伝えが,地名となり,今に残っています。
薬蔵坂(やくぞうざか)
 下るときには,つま先立ちになるほど急な薬蔵坂は,昔,この坂の途中
に長光寺という寺があり,ここに師地堂があったため,この名がつけ
られました。
血塚畷(ちづかなわて)
 志都呂西の旧道の,細葉囲いの家並みがとぎれたあたりを,血塚畷と呼んでいます。
 元禄の中頃,雄踏の医者のところで奉公していた,お弁さんをいう四国出身の女の人が,捜しにきた夫に斬られ,この辺で息絶えたという悲しい話です。
   
 他にも,西鴨江には,「八剣塚(やつるぎづか)」「馬頭観音の絵馬」,志都呂には,「許倍(こべ)の椎(しい)」「御勅使(おちょくし)の松」「乳母(うば)ヶ池」「首なし地蔵」などの言い伝えがあります。